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ピアノは弱く歌うだけじゃないの 2023.09.25

 10月1日の「戸山まつり」のステージに向け、9月は3回目の練習でした。この日も、三矢先生はじめ先生お三方によるご指導でした。金沢先生のご指導で発声練習をおこない、ほぼ定刻には曲の練習に入りました。

 当日の曲順どおり、「はるかな友に」から練習を始めました。4声のハーモニーの中で、アルトとテノールの中声部は、和音の微妙な変化をつける重要なパートです。この曲でも、中ほどでアルトが半音ずつ下がっていくところがあります。三矢先生の言われる「おいしいところ」です。こういう部分をしっかり歌うことが、合唱の最も重要なことだと感じました。

 続いて「緑の森よ」です。歌詞の2つ目の文節「汝(なれ)はこよなき 我が憩(いこい)よ」の前半はフォルテで後半の「わがいこいよ」はピアノになっています。ここで三矢先生が言われた言葉が、表題のフレーズ「ピアノは弱く歌うだけじゃない」です。「我が憩い」つまり「気持ちが休まるところ」は、「守りたい」場所であり、その守りたい気持ちの表れが、音楽的にはピアノということです。みんながそういう気持ちで歌うと、その想いが音に表われることを体験しました。

 アカペラ3曲目の「雲雀」は、最後の「恵み讃え」のフォルテの歌い方について、金沢先生からご指摘がありました。ひとつひとつの音にアクセントをつけた歌い方ではなく、同じ圧でのびのびと音を出す歌い方をするというものです。フォルテも、ただ大きい音ではなく、天の恵みに対する感謝や畏敬の表れということなのでしょう。

 休憩の後は、「いつだったか」です。明日香先生のピアノ伴奏で、アタマから通しました。歌い出しの1小節目はユニゾンですが、2小節目から音が分かれ、ハーモニーが変化していきます。歌詞も「いつだったか 君たちが」という日常の世界から、いきなり「空を飛んでいくのを見たよ」というちょっと異次元の世界に跳躍していきます。その意識の跳躍や広がりが、ハーモニーの変化と広がりに表われているのです。ソプラノは、前週とメンバー交代でIさんが孤軍奮闘でした。やはり、ソプラノの出るタイミングが他のパートと違うところが、なかなかうまく行かず繰り返し練習しました。

 引き続き「今日もひとつ」を練習しました。曲の中ほどの「笑ったり 泣いたり 望んだりあきらめたり」から「憎んだり 愛したり」は、強弱記号がいろいろ変わります。特に「憎んだり」はフォルテですが、「愛したり」はフォルテシモからすぐデクレッシェンドして、またクレッシェンドという複雑な動きになっています。発露したエネルギーをいったん抑えて、しかしやはり現れる想いの音楽的な表現なのでしょう。その後の転調したところで、「そしてそれらの一つひとつを 柔らかく包んでくれた…」はメゾフォルテですが、三矢先生から「ひとりでつぶやくのではないが、演説のように話すのではなく。ふつうの声でしっかり伝える」という歌い方でというご指摘がありました。同じような強弱記号でも、その歌い方は一様ではないことが、よくわかりました。  通しで練習したあと、本番について団長から確認がありましたが、曲紹介を三矢先生にお願いしました。「えっ私が?」と言われていた三矢先生も引き受けてくださったので、早速「先生、メゾフォルテでお願いします」とツッこんでしまいました。私としては、「今日もひとつ」のおさらいを兼ねていましたので、そこのところヨロシクお願いします。 団員の皆さん、苦手なところをもう一度、動画でおさらいして、「戸山まつり」に臨みましょう。

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